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コミュニティと自己の納まり具合

舞城の阿修羅ガールを読んだ後、日記を3本ほど書いたらいたく不評だった。

ところで、世の中は集団、グループあるいはコミュニティと言ってもいいけれど
そんなものが集まって成り立っている。それが社会というものなのだろう。僕はあんまり勉強しない性質だが、社会学という分野でこの手の研究をするに違いない。

あるグループの中で自分がどういうポジションをとるかということの積み重ねが人生なんじゃないかと最近思う事が多い。
それほど大層なことを言うつもりもないのだが、夏休みに高校時代の同窓会に参加する機会があってそう思った。
人間、生まれてから今までどんなコミュニティにおいても一貫して毛色の同じポジションに納まり続けている人というのは稀だと思う。僕の場合は小学校のときはリーダーシップを取りがちだったけれど、中学のときに軽くいじめられて、高校の時はなるべく目立たないようなポジション、でもそれだとなんだかしゃくなので多少ひねてたというかシニカルなポジションにいたし、大学生になるとひねくれ体質だけど高校時代に比べると多少前向きになっていたりして。

いろんな集団でいろんなポジションに身を置く中で自分の性格が変わったり者の考え方が変わったりすることも当然あるだろう。だから高校の同窓会でスーパーポジティブな自分を披露して、
「moogって変わったよね」
と言われるような選択肢もあったはずだ。
実際、他の人をみると「ああ、変わったな」と思う人がたくさんいたのだけれど、自分はといえばどうもそういう具合にはいかない。
別に他人は僕のキャラが変わっていようがいまいがそんなことは気にしないのだろうけど、例えば今僕が会社でとっているような言葉遣い、押しの強さ、声のトーンなんかで(どちらかといえば)目立つ感じで話したりするのが自分自身でなんとなく納まりが悪いのだ。だいたい個と社会とは相互に影響しあっているから自分が変わったからといって
「ほら、新しい僕はこうですよ」
とその社会で提示するのはなんだが社会(このケースで言えば高校の同窓という社会)に対する裏切りであるように思えたりするのだ。

そういう考え方は窮屈だと思う向きもあるだろうが、それでも社会と折り合いをつけるような生活をなんとか続けて来たのだ。今までは。

会社。このコミュニティはでかい。
今の会社は2個目だが、前の会社は5年で辞めた。
会社にいる中で自分の納まりがいい場所を探すのだが、5年も経つとどんどん自分の思いとぶれてきてなんだか居場所がなくなってくる気がするのだ。
そうなると自分を変えるほどの柔軟性もなく、結局職や会社、つまりコミュニティを変えてなんとか乗り切ろうと考えてしまう。
しまう、と言ったが自分ではあまり悪い事だとは思っていないのだけれど。
今の会社も3年近くいるけれど、そういう意味で自分自身の納まりが悪いように感じてきた。
今でこそ年功序列は崩れてきている者の、ちょっと前までは30年近く続くコミュニティに多くの人が飛び込んでいき、辞めるなんて考えもせずひたすら働いていたというのがすごい。
あと数十年、同じ場所にいるというのが僕には信じられないしちょっと恐ろしい。

いろいろ偉そうに書いたところで、「お前に社会性が欠如しているだけだ」と言われれば返す言葉はない。しかし人々の多様な性格や性向、生き方や考え方に対して、働き方の選択肢のなんと少ない事か。



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  1. 2007/08/27(月) 00:35:18|
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